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2007年06月 アーカイブ

2007.06.02. Sat

紀尾井ホールでのリサイタル


神聖な紀尾井ホールの響きに助けられ、山田耕筰先生の歌曲6曲や、ハイドンの天地創造、モーツァルトのハ短調ミサ曲のアリアなどを、無事に歌うことができました。
それにしても「曼珠沙華」って心を捕らえて放さない名曲ですね。これからもずっと歌っていきたいです。
アージュのこともあって、舞台に上がるまで元気がなかったのですが、何度歌っても深く美しい響きのホールに感動させられ、素晴らしい音楽と会場に来てくださった皆さまの温かい拍手に支えられて、心のいっぱいになる演奏会となりました。
皆様に改めて深謝いたします。
高校時代の親友も来てくれたのですが、会うだけで楽しい気分になれるなんて、友達は本当に有り難いなぁと改めて思うこのごろです。


amici

2007.06.03. Sun

アージュの応援ありがとうございます


コメントを頂いた皆様には、アージュの応援を頂いてありがとうございます。
一時はお医者さまにも「覚悟しておいてください」といわれ、夜中に急患で注射などをしてもらったときもあるのですが、今日明日という峠はなんとか乗り越えました。
そばにいてただ、めそめそと泣いている私を励ますかのように、しっぽを振ってくれたり、喉をごろごろ鳴らして、じっと私の顔を見てくれるアージュですが、腎不全(もしかしたらがんかもしれないということです)とひどい貧血、口に潰瘍が出来て水も飲めず、血を作る力もないということで輸血をしたりという状態は変わらず、一向に改善する気配も無く、ただただ薬と流動食を吐かないようにそっと鼻から入れて、痛みからか、苦しさからかゆっくり眠れない様子をみていると、どうするのが一番彼にとって幸せなことなのか、考えてしまいます。
毎日獣医さんから帰ってくる度に、怖いのと車に酔うのか吐いてぐったりするのをみていると、検査をしたり、注射をしたりというのも、私が安心したいという独りよがりな、勝手な思いなのかなぁとも思うところです。
せめて口からご飯が食べられるようになってくれると嬉しいのですが。
まだ大好きなお刺身も食べられません。。。

2007.06.04. Mon

皆さまのコメントを頂いて


逗子での公演では皆さまのご指摘通り、少し私の今までの歌い方とは外れて、がんばりすぎの歌い方になってしまいました。「ドレスデンでの影響では?」と皆様にご心配頂きましたが、もちろん大音量のオーケストラとワーグナーを歌いこなす大歌手とのアンサンブルで、150%くらいで歌っていたのは確かですが、そのせいではなく、久しぶりに日本で歌うという張り切り過ぎの気持ちと、支えをより強固に使って120%くらいで歌うとどうだろうという試みと、自分に音が返らない音響の中で、バランスがうまくとれなかったのが原因です。
公演後、のども疲れて、体力も著しく減衰しましたので、こういう歌い方はやっぱり自分には合わないのだと、反省していたところです。ただ、ダイナミックでオペラティックな歌い方をすると喜んでくださる方がいるのも確かで、私の一生の悩みどころでもあります。
私自身はバーバラ・ボニーさんのような、聴いているだけで心が浄化されるような、涙がでるほどの透明感を持ちつつ、そこに深い音楽性がある歌い方、というのが一番目指したいものなのですが、曲によっては、憧れのドラマティックな歌い方がつい沸き上がって来て、自分の持ち分を超えた歌い方をしてしまうことがあります。宗次ホール、紀尾井ホールは歌い手にとっては、無理をせずともすべてが伝わるホールだったので、本当に助けられましたが、これからも自分の持ち分をわきまえて、皆さまのご指摘を忘れないように気をつけていきます。ありがとうございました。


それから、ご指摘頂いたモーツァルトの大ミサハ短調のEt incarnatus est(聖霊によってマリアより生まれ)は歌いこなすという意味でメイン・イヴェントともいえる大曲でしたが、山岸さんの素晴らしいフォローのおかげでほぼ思い通りに歌うことができました。これはテンポや、ホールの響きに恐ろしく左右される曲なのですが、来月は宗教曲をメインにこの曲も含めてレコーディングがあるので、また挑戦したいと思っております。
これからも、皆さまの感想やご指摘をいただければ幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。

2007.06.05. Tue

最近のお気に入り


たまたま本屋さんで見かけて、面白そうなので買ってみると、とてもためになるのでご紹介したいのが、ウエイン・W・ダイアー著、渡部昇一訳・解説(三笠書房)の
「頭のいい人」はシンプルに生きる(原題Pulling your own strings)という本です。


pullingyourownstrings


皆さんは人の思惑に左右されない「自由」を本当の意味で持っているでしょうか。「自分さえ我慢すれば」とか「仕方がない」と諦めていることはないでしょうか?でも少しの我慢は出来ても、続けているうちにはやっぱり耐えられなくなったり、ストレスがたまったりするのではないでしょうか。そんなだれにでも起こりそうな状況を打開する手段を載せているのがこの本です。導入部分を少しご紹介します。


(抜粋)自由というものは、誰かがお盆にのせてあなたの前に差し出してくれるようなものではない。自由は自分自身で作りあげなければならないものだ。自由とは、何ら邪魔されることなく、あなたの意のままにあなた自身の人生を送ることだ。
 とはいえ、自由になるということは、家族や仲間に対する責任から逃れることでは決してない。きちんと彼らへの責任を果たしながら、なおかつ自由でいる方法があるのだ。
 にもかかわらず、責任と自由とは両立しないという人が必ずいる。また、自由を望むのは「利己主義」だという人がいる。こういう人たちはたいていあなたの自由を、力ずくで押さえてしまおうと考えている人たちだ。
 古代の哲学者エピクテトスは自由について次のように言っている。
「自分自身の主人でないものは決して自由ではない」この言葉をじっくり読み返してほしい。
 しかし、自由になるためには、見るからにたくましく力強くなる必要もなければ、そういう力を用いて他人を服従させる必要もない。
 そうではなく、むしろ情緒が安定している人たちの中にこそ、世界で最も自由だと思われる人を見出すことができる。彼らは他人の気まぐれに左右されることを、ごく素直に、そして静かに拒否する。そしてそれがために、人生でコンスタントに実力を発揮することができるのである。。。




誰にでも「なりたい自分になれる強さ」があり、自分の強さも、自由を望むか望まないかも、自身の考え方、心の持ち方一つにあると説いています。自分自身の満足感を確かな物差しとして、心を鍛えてみたい方は、是非どうぞ!


動物好きの私としては、著者のこんな言葉にもうなずけました。


(抜粋)動物から学べること
ウォルト・ホイットマンは、『草の葉』の中で動物への愛を次のように鋭く表現している。


動物と共に生活できたらいいなと思う。彼らは落ち着いていて無口だ。
彼らは、自分たちの境遇について、悩んだり、泣き言を言ったリはしない。
彼らには、暗闇で眠れぬ夜はなく、罪に涙することもない。
誰も不満に思うことなく、誰も物欲に狂ったリはしない。
誰もこの地球上で恰好をつけたりするものはなく、また不幸なものもいない。


ホイットマンも言うように、動物は、とにかく、過ぎ去ったことに焦点を合わせて生きていくことはできないのだ。彼らは、美しい思い出を持つことは出来ないが、不必要に悩んだり、罪のなすり合いをすることもまたできないのである。。。


2007.06.13. Wed

アージュありがとう


12日夜、突然に様子が変わって、先ほどアージュは息を引き取りました。
最後の最後まで病気と闘って、一番苦しかったアージュが、おとといの仙台公演でアージのそばにいられない事にやきもきしていた私の帰りをちゃんと元気で待っていてくれて、昨日は病院に行って、先生にも母にも元気な様子を見せ、このまま治るのではないかしらと私たちに希望を与え、今日はシャンプーもしてきれいになって、ご機嫌そうにベットで寝ていたのですが、私が夕方3時間ほど出かけ、8時に帰宅すると力なくうつ伏せに眠るように倒れていました。死んでしまったのではと、心臓が止まりそうになって、そっと起こしてみるとまだ息があって、横にして私の手に顔を乗せて最後の時間を過ごしました。獣医さんに電話をして9時半に診てもらえる事になりました。そろそろ行こうと思っているときに、苦しそうにうなって、目の焦点が合わなくなり、首も座らなくなって、もう本当にさよならしなければならない事がわかりました。先生にどうするべきかとお電話すると「そのまま家で静かに見送るか、酸素ボンベなどをつけて延命措置を取るかは、判断に任せます」と仰ったので、後悔するのは嫌だったので、病院に連れて行きました。車に乗っているときも焦点の合わない目で私を一生懸命見つめて、病院に着いてベットに乗せたとたんに「もう十分だよ」と言うかのように、安らかにみんなに囲まれて最後を迎えました。「こんなに重い病気なのに、こんなにきれいに、安らかに眠れるなんて、本当に幸せだったのね。大好きな人の前ではいつもかっこ良くいたかったのね。本当に良くがんばった!」と先生にもいわれ、やっと苦しみから解放されて、安らかに眠れるのだと思うと、少し悲しみや寂しさも和らぎます。
アージュ、最後のときを一緒にいさせてくれてありがとう。
人間では耐えられないような痛みと苦しみだったのに、いつもかわいい顔で私たちと一緒に過ごしてくれて本当にありがとう。8年間のたくさんの楽しい思い出をありがとう!
まだ私はアージュのように強くなれませんが、少しずつあなたを見習ってがんばります。

2007.06.17. Sun

たくさんの温かいお言葉ありがとうございます


アージュのために、そして私のために皆さまから素晴らしい言葉をたくさん頂き、深謝いたします。
私自身、現実を直視できず、このまま良くなって元気になる!と思っていたので、突然のお別れはとても悲しいものでした。「もっと早く気づいていてあげれば」とか「他のお医者さんに診せれば、また違った治療法があったのでは」とか「吐いてしまうからと様子を見ながら少しずつしかあげられなかったご飯の量が、やはり少なすぎたのでは」とか、もう思っても仕方のない事ばかり、未だに思い続けています。
でもアージュの方は私に気を使って、その後の静岡、大阪、九州公演で、また私がアージュの事が心配で眠れなくなったりしないようにと、私が東京にいる日を選んで、そして最後まで私のそばにいて、ちゃんとお別れをさせてくれました。
アージュが亡くなって次の日は静岡公演でしたが、1曲目から天使の糧(アージュの名前は天使という意味)でしたし、2曲目はレクイエム(死者のためのミサ曲)で永遠の安息を神様にお願いする歌でしたし、4つの最後の歌は死を静かに迎える歌でしたし、マタイやヨハネ受難曲のアリアも、罪もないイエスが亡くなると歌うものでしたので、アージュの最期と重なって、必死に涙をこらえる公演となりました。舞台に上がるまでは本当に悲しくて、ちゃんと皆さまの前で歌いきれるのだろうかと心配だったのですが、温かい拍手を頂いて、そして悲しんでばかりいてもアージュは喜ばないだろうという思いで歌ううちに、元気になって、無事に舞台を終える事が出来ました。
今は、いつもいた場所にアージュがいない、という事がさびしいです。目をつぶるとそこにアージュが座って尻尾を振ってくれていたのが、昨日の事のように思い出されます。皆さんの仰る通り、私の心の中にずっとアージュは生き続けるでしょう。ずっと鮮明に覚え続けられればと思います。時間と共に記憶が薄れていかないように、そっと繰り返し思い出しながら、心の中でアージュに話しかけて、ごめんねとありがとうをこれからもずっと言いたいと思います。

2007.06.26. Tue

仙台、静岡、秋川での公演について


皆さまには大変ご心配頂いて、温かい励ましの数々を本当にありがとうございました。
しばらく、ぽっかりと心に穴があいたようで、何も手につかないというか、気分が塞いでおりましたが、おかげさまで少しずつ元気になってきました。


今日は久しぶりに公演のご報告をさせて頂きます。
まず、6月10日には仙台のケヤキホールでモーツァルトのレクイエムがありました。テノールの錦織さんを始め、バスの成田さん、アルトの高山さんという美声のソリストに加え、私の後輩にも懐かしく逢えるような素晴らしい合唱団で、レーデル教授の代わりに急遽指揮をしてくださる事となったレニッケ教授のご指導のもと、東京交響楽団の演奏も荘厳に響き渡りました。
何度歌ってもやはり「モツレク」(省略してこう呼んだりします)は良いなぁと思いながら、アージュのレクイエムとならないようにとも祈りながら、心を込めて歌いました。
ご一緒した皆さま、素晴らしい演奏をありがとうございました。


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左から成田さん、錦織さん、レニッケ教授、森、高山さん




続いて6月13日には静岡のしずぎんホール・ユーフォニアでリサイタルがありました。この公演はまずお申し込みを頂き、抽選に当たった方のみがご購入頂け、その収益は公益信託しずぎんふるさと環境保全基金に寄付されるという特別な公演でした。462席という限られたお席に10倍程のお申し込みがあったと伺いました。お申し込み頂いた方には改めて御礼を申し上げます。
この日は前日の夜にアージュが亡くなってしまったので、大切な公演だというのに、とても悲しい気持ちで舞台に上がりましたが、皆さまから温かい拍手を頂いて、歌い終わる頃にはだいぶ元気になりました。ただ、選曲した宗教曲や歌曲が、死に関するものが多かったので、歌っていて取り乱しそうにもなりました。でも今から思えば、こうして皆さんの前で歌える機会を頂いて、とても救われているのだなぁと思います。ホールも今回の曲にとてもふさわしい響きのホールでした。静岡の皆さま、本当にありがとうございました!


6月16日には秋川キララホールでリサイタルがありました。今回はピアニストの横山幸雄さんと久しぶりにご一緒させて頂きました。横山さんの演奏は前日のご自身のリサイタルにも関わらず力強く、輝くような演奏で、そして私の伴奏には静かに深く演奏してくださいました。ホールの響きもまるで教会で歌っているかのように荘厳な響きで、心にしみる演奏会でした。秋川の皆さま、そして会場に来てくださった皆さま、本当にありがとうございました。

2007.06.27. Wed

大阪、戸畑での公演


6月18日には大阪のいずみホールでリサイタルがありました。こちらのホールの響きは聴きにいらっしゃるお客様の方が良くご存知でしょうが、まるで声が金粉になって天井からお客様の方へ柔らかく降り注ぐような響きで、大好きなホールです。こちらでは今年の3月にもリサイタルを行わせて頂きましたが、おかげさまで追加公演をさせて頂ける事になり、1年に2度もいずみホールでリサイタルが出来るなんて、本当に幸せな事です。ご来場頂いた方には改めて深謝いたします。
まだアージュへの悲しみは残っておりましたが、私の個人的な感情や思いのみならず、もう一度テキストの内容を掘り下げようと試み、それが吉となった公演だったと思っております。いつも華やかなプログラムを歌うと、より大きな拍手をして会場を盛り上げてくださる大阪の皆さまには、静かな重い内容の曲が続いて「あまりお楽しみ頂けなかったのでは?」と心配もいたしましたが、いつものように温かい拍手を頂き、コメントにも素晴らしい感想を頂いたりして、ほっとしておりました。こうして皆さまからコメントを頂き、率直なご意見を頂く事がどんなに有り難い事かと実感しております。
山岸さんの伴奏はいつも完璧で、私がどんなに自由に歌ってもぴたっと合わせてくださいますが、この日は伴奏もさることながら、ソロの演奏も本当に素晴らしくて、聴くたびに深みを増して行く演奏には、本当に脱帽です。
大阪の皆さま、本当にありがとうございました。


6月21日には北九州の戸畑市民会館、うぇるとばたにてリサイタルがありました。こちらのホールは初めて伺わせて頂きましたが、舞台から見ると800席とは思えない大きなホールで、響きも紀尾井ホールやいずみホールに匹敵するほど素晴らしいものでした。舞台が花道のように右と左にお客様の方へと続いていて、アンコールのときには思わずそちらに足が向いてしまいしたが、私の勝手な思いつきにも関わらず、瞬時に照明の方がご対応くださいました。その甲斐あって、より近くで聴けた事が嬉しかったというコメントも頂き、裏方の皆さまにも改めて御礼申し上げます。この日も、思えばお客様の温かい拍手と主催者の方々の心のこもったおもてなしに支えられて、胸の一杯になる公演でした。
公演が終わると玄界灘からの潮の香りが涼やかな風と共に吹き、とても心地よい夜でした。北九州の皆さま、ご遠方からもご来場頂いた皆さま、本当にありがとうございました!!

2007.06.30. Sat

東京オペラシティでのリサイタル


1600人に及ぶ満員のお客様に温かく見守られながら、昨日オペラシティでのリサイタルが終わりました。十分に歌い込んできたレパートリーで、リハーサルでも一番後ろの席で録音をしてバランスや響き、発音がきちんと届いているかも確認したし、思えば今月はたくさんのリサイタルもあり、いつも通りに歌えば良いんだと、舞台に出て行くまでは緊張していなかったのですが、歌い出したとたんに1600人の熱気というか、響きも練習の時と違って聞こえて、ちょっとドキッといたしました。でも音楽に集中しているうちに、その緊張も解け、お届けしたい内容と、音楽的な解釈を実現することができました。
オペラシティのコンサートホールは1632席という大ホールにも関わらず、pp(ピアニッシモ)や繊細な息づかいまでがすべてのお客様に届く、魔法のようなホールです。そして響きが格別に良いにも関わらず、残響によって子音が聞き取れなくなったりしない、理想的なホールとも言えます。その素晴らしいホールと、山岸さんのいつもながらの卓越したサポートに助けられて、私自身、歌詞の一言一言を大切に味わいながら歌うことができました。
シュトラウスの歌曲や、モーツァルトの宗教曲などは、お客様も息をのんで長いフレーズを聴いてくださっているのか、曲間にほっとされて、咳払いが起きるのがこちらから印象的でした。
そして本当に温かい拍手を頂き、たくさんのお客様が私に手を振って喜んでくださる姿を見て、感無量です。まだその余韻が聞こえてくるようです。
ご来場頂きました皆さま、本当にありがとうございました。
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